「いつの間にか“走る”ことが仕事に」|三河 賢文

「走り始める」ことが健康や生きがいとして大きな影響を与えるケースは多いが、仕事にまで繋がっていくという例は少ないでしょう。RunPortの専属ライターでもある三河さんは、そんな中の1人です。

■陸上競技選手からメタボ予備軍へ

中学校から大学まで、陸上競技部に所属していたという三河さん。

陸上競技場

「中学〜高校は中長距離で、800mや1500m、3000mSCに出場していました。しかし浪人したことで新しい競技にチャレンジしようと、大学では十種競技に転向したんです。」

大学に入ってから、とにかく短距離型の体づくりに取り組んだとのこと。筋トレやダッシュ系トレーニングを中心に、全く異なる競技へ挑戦を始めました。

しかし怪我などが重なったことで、大学2年で引退。在学中はスポーツジムにこそ通っていたものの、卒業後は仕事が忙しくなったこともあり、一切運動などしなくなってしまいました。

「運動していたときは、太りにくい体質だと思ってたんですけどね…。社会人になって、当初58kgだった体重は最大79kgまで増えました。結婚して、よく食べるようになったのもあるかな(笑)さすがにヤバイと思って、たまに筋トレやジョギング。でも長くは続かず、まさに三日坊主でしたよ。これじゃあ、痩せませんよね。」

生活環境の大きな変化が、体重として跳ね返ってきたのかもしれません。身長は167cmということで、確かに79kgの体重は誰でも焦るでしょう。

 

■ランナーへの扉を開けた

しかし現在では、多くのマラソンレースを走る三河さん。そのキッカケについて、語ってくれました。

「ある日、Twitterを見ていたんです。すると、『砂漠マラソンを走る』なんていう人がいるじゃないですか。しかもその方の壮行会が、誰でも歓迎で開催されるというんです。マラソンに興味があるというより、『どんなアホな人なんだろう』という興味で、参加してみることにしました。」

三河さんは2010年に会社を辞めて独立。ちょうど1年が経ち、仕事のうえでもこれからの方向について悩んでいた時期だとのこと。もしかしたら、何か刺激を求めていたのかもしません。

壮行会で砂漠マラソンに挑戦する小野裕史氏の言葉に胸打たれ、「もう一度、走ってみよう」と決意。 その場で小野氏と握手を交わし、すぐにハーフマラソンにエントリーしたと言います。

「これまで三日坊主だったのは、熱い思いがなかったのだと思います。また、怪我で部活を引退してから、『以前のように走ることなんて、もうできない』という諦めが、自分の中にあったのでしょう。しかし壮行会に参加して、そんな自分の小ささを思い知りました。だからこそ、まず期限を決めるためにハーフマラソンへエントリーしたんです。」

人生初のハーフマラソンを走ったのは、自宅からも程近くで行われた『タートルマラソン』。壮行会の3ヶ月呉のレースだ。予想以上の暑さに苦戦しながら、なんとか完走。タイムは【2時間51分】。現在のベストタイムより、1時間20分も遅かった。しかしタイム以上に走りきった充実感が大きく、今度はフルマラソンへエントリーした。

「ハーフマラソンは、凄く辛かったです。暑いのもありましたが、どにかく長く感じました。でも、走り切りたかった。完走して自宅に帰ったら、自然とパソコンを開いていましたよ。」

石垣島トライアスロン

初フルマラソンは『伊豆大島マラソン』。タイムは【4時間5 6 分】と、これもまた現在のベストタイムより1時間20分遅い。

その後、『石垣島トライアスロン』でトライアスロン(オリンピック・ディスタンス)、『奥多摩周遊エコ・ジャーニー』でウルトラマラソンを完走。日に日に、その魅力に惹かれていくのでした。

そしてランニングへの思いは次第に強くなり、いつしか「ランナー以外でも何か関わりたい」と考えるようになります。

 

■“走る”フリーライター、発進!

大学在学時、部活を引退した頃から始めたフリーライターの仕事。会社員となって細々とした活動になっていましたが、独立後は再びこのフリーライター業務を中心として活動していました。

主なジャンルは、ビジネスやIT。ちょうどスマートフォンやクラウドサービスなどが流行を見せ始めた時期であったため、その活用方法などを中心に執筆を行ってきたとのこと。やがて業務が繁忙化してきたことなどを受け、他のライターとパートナーシップを持つようになります。そして、外部パートナーのリソースを主体としたアウトソーシング事業を営むナレッジ・リンクス株式会社を、2013年に設立(法人化)。ここから、ライターとして新たな一歩が始まりました。

「会社を設立して、フリーライターとしての活動を改めて考えました。ライターとしての活動も、決して辞めたくない。そこで考えたのが、スポーツライターとしての道だったんです。」

“走る”フリーライター法人設立と共に、三河さんは自らを『“走る”フリーライター』と名乗り始めます。過去のランニング経験をもとに、主にマラソンを中心としたスポーツライティングに取り組み始めたのでした。

「まず、Webメディアなどでマラソンについて書かせて頂ける媒体を探しました。エンタメウスウレぴあ総研などは、その中の1つですね。そこから、某ランニング雑誌などへコンタクトを取り、少しずつスポーツライターとして活動できるようになってきています。まだまだ…ですけど。」

スポーツライターの活動は、自身のランニングにも活きている。

「取材でお話を伺える方は、誰もが私なんて及びもつかないトップアスリートであったり、関連業界でのスペシャリストです。そうした方々から得られる知識は、私自身も実践しているんです。」

まさに、“走る”ことが仕事へと繋がった例といえるでしょう。

 

■実はもう1つ…

三河さんは、さらにもう1つの顔を持っています。それは、都内中学校での陸上競技部コーチです。

「マラソンはもちろんなのですが、走っていることで、大学まで取り組んだ陸上競技の経験・知識も活かしたいな…なんて欲が出たんですよね。特に十種競技って、基本的にどんな競技でもある程度教えられます。実は一度、近所の小中学生向けに陸上教室を開きました。しかし要望が増えすぎてしまい、そのときは仕事との両立が出来ないという失敗を経験したんです。そこで、ちゃんと学校で教えたいと思ったんですよ。」
近所の中学校や高等学校を調べ、陸上競技部のある学校にメールやFAXでアプローチ。しかし当初は、全くレスポンスが無かったと言います。しかしその半年後、今務めている中学校から突然電話がありました。

「実は、その学校には何もアプローチしていませんでした。しかし他の学校経由で私の話を聞いたそうで、ちょうど陸上部を教えられる人がいなくなってしまうというんですよ。驚きと共に、すごく嬉しかったですね。」

中学生

現在は週に3日、夕方から指導を行っているとのこと。大会のある際には、土日・祝日にも会場へ応援とサポートに向かっています。他の仕事もあって時間が限られるので、中学校までの往復(経路によって11〜20km)を走り、トレーニング代わりにしているそうです。

「教えることで学びも得られます。また、生徒たちを見ていると、自分ももっと頑張らなきゃと思えるんですよ。時間のやりくりなど大変ではありますが、今では大きなやり甲斐を感じています。」

仕事とランニングとの間に、プラスの効果が生まれている。趣味を仕事にするという働き方は、不可能ではないのでしょう。

 

【氏名】三河 賢文

【ランニング歴】2年9ヶ月(2014年3月時点)

【SNS】FacebookTwitter子育てブログランニングブログ

中学校から陸上競技部に所属。元・十種競技選手。7年ブランクを経て2011年6月よりランニングを開始。同年にハーフマラソンとフルマラソン、翌年にトライアスロン(オリンピック・ディスタンス)とウルトラマラソン(100km)を完走。ナレッジ・リンクス(株)代表取締役、“走る”フリーライターとして活動。東京都内の某中学校で、陸上競技部の外部コーチを務める。2歳の子を持つ自称イクメン。